エンタープライズの内部統制とSOX法対応:ノーコードおよびコード資産の管理・監査戦略
はじめに
今日のエンタープライズIT環境は、ビジネスニーズの多様化と技術進化に伴い、複雑性を増しています。特に、迅速なシステム開発や業務効率化を目的として導入が進むノーコード/ローコードツールと、従来からのカスタムコードによる開発が混在するハイブリッドな状況は一般的となりました。このような環境下で、企業はビジネスの継続性、データの完全性、そして法規制遵守を確保するための強固な内部統制システムを構築する必要があります。
米国上場企業に適用されるSOX法(Sarbanes-Oxley Act)に代表される財務報告に係る内部統制報告制度は、ITシステムが財務情報に与える影響を重視しており、ITに係る全般統制(ITGC: IT General Controls)とITに係る業務処理統制(ITAC: IT Application Controls)の有効性を評価することを求めています。ノーコードとコード資産が混在する環境では、これらの統制活動を効果的に実施し、監査に耐えうる証跡を整備することが新たな課題となっています。
本稿では、エンタープライズにおけるノーコードおよびコード資産が混在する環境下での内部統制構築とSOX法対応に焦点を当て、技術的および組織的な管理・監査戦略について考察します。
内部統制・SOX法対応におけるIT統制の要素
SOX法におけるIT統制は、主に以下の要素で構成されます。これらはノーコード・コード環境においても、その特性を理解した上で適用される必要があります。
- アクセス管理: ユーザーID管理、権限設定、アクセスログの監視。不正アクセスや権限逸脱を防ぐ。
- 変更管理: システムや設定の変更要求、承認、実施、テスト、本番移行のプロセス管理。意図しない変更や不正な変更を防ぐ。
- システム開発・保守: 開発標準、テストプロセス、レビュー体制の整備。不備のあるシステムの導入を防ぐ。
- システム運用: ジョブ実行管理、バックアップ・リカバリ、障害対応、ログ管理。システムの安定稼働とデータの保全を図る。
ノーコードプラットフォーム上で構築されたアプリケーションやプロセス、あるいは市民開発者が作成したワークフローは、これらの伝統的なIT統制の枠組みから外れやすい特性を持つ場合があります。一方、カスタムコード部分は既存の統制フレームワークの適用を受けますが、ノーコード部分との連携インターフェースは新たな統制リスクを生み出す可能性があります。
ノーコード/コード資産の特性と管理の課題
ノーコード/コード連携環境下で内部統制を強化するためには、各資産の特性と管理の課題を理解することが不可欠です。
ノーコード資産の特性と課題
- 可視性の低さ: ツールによっては、内部ロジックや設定がブラックボックス化しやすく、監査人が内部構造を理解しにくい場合があります。
- 変更管理の複雑性: 市民開発者による迅速な変更が可能である反面、変更要求、承認、テスト、デプロイメントのプロセスが標準化・文書化されていないことがあります。バージョン管理機能が限定的なツールも存在します。
- アクセス管理の粒度: ユーザーへの機能アクセス権限設定は可能でも、特定のデータフィールドへのアクセス制御など、細かい粒度での制御が難しい場合があります。
- ベンダー依存: プラットフォーム固有の機能やデータ形式に依存するため、外部監査人が独立した視点から評価するための情報が入手しにくいことがあります。
- 開発者(市民開発者)の統制意識: IT部門のプロ開発者に比べて、システム開発・運用に係る統制やセキュリティに関する知識・意識が低い場合があります。
コード資産の特性と課題
- 標準化の必要性: 複数の開発チームが存在する場合、コーディング規約、フレームワーク、テスト手法などの標準化が不十分であると、品質や保守性にばらつきが生じ、統制の網羅性を損なう可能性があります。
- 技術的負債: 短期的な開発を優先した結果、不適切な設計やドキュメント不足が生じ、システムの理解や変更管理を困難にすることがあります。
- 変更管理の徹底: プロセスが確立されていても、緊急対応等において正規の変更管理フローが省略されるリスクが存在します。
連携環境固有の課題
- エンドツーエンドのトレーサビリティ: ノーコード部分からコード部分へ、あるいはその逆方向のデータ連携や処理の流れについて、全体像を把握し、監査証跡を追跡することが難しい場合があります。
- インターフェースの管理: 連携に使用されるAPIやデータ形式の変更が、連携先のシステムに与える影響の評価と管理が不十分であることがあります。
- 権限設定の複雑性: ノーコードプラットフォーム、カスタムアプリケーション、そして連携先のシステムそれぞれで独立して設定されるアクセス権限が、全体として整合性が取れているか、過剰な権限が付与されていないかの確認が複雑になります。
SOX法対応を見据えた管理・監査戦略
これらの課題に対し、SOX法対応を見据えた管理・監査戦略を策定・実行する必要があります。
1. リスク評価の見直し
従来のITGCリスクに加えて、ノーコード資産特有のリスク(例:市民開発者による意図しない設定変更、プラットフォームのセキュリティ脆弱性、ブラックボックス化による監査リスク)をリスク評価フレームワークに組み込みます。ノーコードとコードの連携部分におけるデータ不整合や処理停止リスクなども評価対象とします。
2. 統制活動の設計と強化
- アクセス管理: ノーコードプラットフォームへのアクセス権限、アプリケーションごとの機能アクセス権限、データアクセス権限について、最小権限の原則に基づき設定し、定期的にレビューします。市民開発者には特定の範囲内での権限付与に留め、基幹システム連携部分など影響度の高い領域への変更権限は制限するなどの措置を検討します。
- 変更管理: 市民開発者によるノーコードアプリケーションの変更についても、IT部門の変更管理プロセスへの組み込みを検討します。軽微な変更と重要性の高い変更を区別し、承認ワークフローを導入します。ノーコードプラットフォームのバージョン管理機能を活用し、変更履歴を追跡可能とします。カスタムコード部分との連携インターフェースの変更は、両方のシステムへの影響評価を含めた厳格な変更管理プロセスを適用します。
- システム開発・保守: ノーコード開発においても、テスト方針、レビュー体制、ドキュメント作成に関するガイドラインを整備します。特に、財務報告に関連するアプリケーションについては、通常のシステム開発と同様の品質保証プロセスを適用できる体制を構築します。
- システム運用: ノーコードアプリケーションの稼働状況、処理結果、エラーログなどの運用監視体制を構築します。バックアップ・リカバリについても、プラットフォーム機能と自社での補完策を組み合わせ、事業継続計画(BCP)に組み込みます。
3. 監査証跡の収集と可視化
SOX法監査では、統制活動が適切に実施されていることを示す証跡(Evidence)が求められます。
- 変更履歴: ノーコードプラットフォームの提供する変更履歴、カスタムコードのバージョン管理システム(Git等)のコミット履歴、デプロイメントログなどを収集します。変更要求と承認の記録(ワークフローシステムなど)も重要な証跡です。
- アクセスログ: プラットフォームへのログイン履歴、アプリケーションへのアクセス履歴、データへのアクセス履歴などを収集・保管します。不審なアクティビティを検知する仕組みも有効です。
- 設定情報: システムの設定情報(例:アクセス権限設定、ワークフロー設定、連携設定)のスナップショットを定期的に取得し、変更がないこと、または承認された変更のみが反映されていることを確認できるようにします。
- ログ統合・可視化: ノーコードプラットフォーム、カスタムコード、連携基盤など、複数のソースから出力されるログや証跡を統合的に管理・可視化できる仕組み(例:SIEMツール、統合ログ管理システム)の導入を検討します。エンドツーエンドの処理フローにおけるボトルネックやエラー、不正な試みを迅速に発見するために有効です。
4. 組織体制と教育
- 役割と責任の明確化: 市民開発者、プロ開発者、IT部門の運用担当者、内部監査部門など、関係者それぞれの内部統制における役割と責任を明確に定義します。
- 市民開発者への教育: 市民開発者に対して、セキュリティ、データプライバシー、変更管理の重要性、そして内部統制に関する基本的な知識や遵守すべきプロセスについて教育を実施します。
- 内部監査部門との連携: 内部監査部門と緊密に連携し、ノーコード/コード連携環境におけるリスク評価、統制活動の設計、監査手続きについて早期から協議を進めます。外部監査法人とのコミュニケーションも重要です。
5. 技術的な対策と自動化
- API連携の標準化と管理: システム間の連携に使用するAPIについては、標準化された設計・管理を行い、適切な認証・認可メカニズムを実装します。APIゲートウェイの活用なども有効です。
- 継続的インテグレーション/継続的デリバリー (CI/CD): コード資産については、CI/CDパイプラインに自動テスト、セキュリティスキャン、コードレビュー、承認プロセスを組み込むことで、変更管理の統制を強化できます。ノーコード資産についても、可能な範囲で同様の自動化を検討します。
- 自動化ツールの活用: 内部統制活動の一部(例:アクセス権限の定期チェック、設定変更の自動検知、ログの異常検知)を自動化するツールを導入することで、効率性と正確性を向上させることができます。
結論
エンタープライズにおけるノーコードとコード資産の混在環境は、ビジネスの俊敏性向上に貢献する一方で、内部統制とSOX法対応において新たな課題を提起します。これらの課題に対処するためには、ノーコード資産の特性を理解し、従来からのIT統制フレームワークを適切に適用・拡張することが不可欠です。
リスク評価の見直し、アクセス管理・変更管理を中心とした統制活動の強化、そして監査に不可欠な証跡の適切な収集・可視化が重要な柱となります。これらを効果的に進めるためには、組織体制の見直し、関係者への教育、そして技術的な対策と自動化の活用も並行して行う必要があります。
ノーコードとコードの戦略的な連携は、単なる技術導入に留まらず、企業のガバナンス、リスク管理、コンプライアンス体制全体に関わる経営課題です。CTOとしては、技術的な視点だけでなく、内部監査部門や経理部門を含む関係各部署と連携し、継続的に内部統制の評価・改善を進めていくことが求められます。これにより、変化する技術環境においても、信頼性の高い財務報告と事業運営を実現することが可能となります。